
(1996.10 ミートジャーナルより抜粋)
ここで紹介しようと思うのは、ある食肉加工会社で数年働いたことのある若者についてです。
彼が初めて海外旅行をしたときに、この若者はヨーロッパのハム・ソーセージ類と日本のそれとの違いに気づきました。
彼は帰国後,その製造方法を学ぼうと決心して、働きながら学ベるような職場を一生懸命探した結果、ヨーロッパ風のハム・ソーセージを何種類か製造している小さな会社を見つけました。
その間にもヨーロッパに何度か行って、知識を深めたり、短期間働いたりしました。
ようやく彼はヨーロッパのハム・ソーセージ製造に通暁したと感じ、自分の店を持ちたいと考えるようになりました。
彼は家族の援助を受けて、ある商店の一隅に店舗を借り、ハム・ソーセージの製造キッチンと小さな売場をこしらえました。
開店以来,店は順調に軌道に乗り、十分な成果を収めました。若さゆえの熱意があったことはもちろん、地方紙に広告を載せたり、試供品を配ったりしてその知名度を上げたことも幸いしました。
そういった仕事の傍ら、この若者は日本のハム・ソーセージ製造者としての専門課程を優秀な成績で終了しました。そんな折、ある有名デパートの特別フェアで知り合ったオーストリア人パン屋のマイスターに刺激を受けた彼は、全く新しい構想を描くようになりました。
パン屋のマイスターは、オーストリア風のパンを焼いて商売に成功していました。しかしパンの焼き方だけが成功をもたらしたわけではなく、パン屋およびケーキ屋の店の設備一切がオーストリアの伝統的な様式の本物だからです。
実際この人は、故郷ですべてをあつらえて船便で日本に運びこんだそうです。
ですからこの店に入るとまるでウィーンにいるような錯覚を起こしてしまいます。前記の肉屋の若者がこの店を訪ねた時,自分のこれから進みたい方向が分かったような気がしました。
その後3年間は構想を練り、計画を実行に移すべく準備に費やされました。
その間にも何度かヨーロッパを訪れ,知識を増やしたり、計画を練り直したりしました。
今日の成功の裏にはさらに、それまでの利益を全部つぎ込んだことと、終始一緒に働いてきた奥さんの支えがあったことをわすれてはいけません。とうとうこの夫婦は、大都市を離れて,本当のドイツ・オーストリアの雰囲気を作るために山の中に引っ越す決心をしました。新しくできた店の正面やとりわけ内部装飾は、例のオーストリア人の店に負けず劣らず、本場の雰囲気をもっています。

壁や天井に描かれた色鮮やかな絵は、陳列ケースなど、イタリアデザインのモダンな売り場の設備とぴったりあっています。
店のとなりにやはり同じスタイルの小さなレストランがあり,これは若夫婦の目標を補完するものです。このレストランでは自家製のハム・ソーセージ類を食べさせてくれます。
メニューに並ぶ品々は、まるでバイエルン地方のビアガーデンに入ったようです。
ハム・ソーセージのキッチンに設けられた設備は、考え尽くされた最高のものです。全部ヨーロッパ製の機械類は、オリジナル製品を作り出す助けになるものです。
その中でも特に自慢の品は自分で作った耐火性石の燻製室です。完成後、今年になって何週間か稼働したところ、しっかりと熱い燻煙を出し、典型的な燻製の匂いを石に染み込ませました。全くすばらしい!の一言に尽きます。
もし可能なら、読者のみなさんがご自分の目でこの店をご覧になり、自家製ハム・ソーセージの味を確かめていただくことをお勧めします。
この店は指宿徹・知子夫妻が経営する「ハム・ソーセージ工房イブスキ」です。
(1996.10 ミートジャーナルより抜粋)
シェフケ・ダンカース(SJEFKE DANKERS)

1949年オランダ生まれ
オランダ・ドイツ・フランス・イスラエルで食肉,食肉加工について学び、オランダ・ドイツでマイスターの称号を取得。各国の食肉事情に通じるとともに、国際食肉コンテストにおいて多数のメダルを取得している。1992年にミートプロダクション・コンサルティング会社<ダンカースアンドカンパニー有限会社>を設立。2003年にはジャルゴ・グートアンドゥイユ協会から同コンテストの日本窓口となり、また日本における普及・啓蒙に努めた功績により「特別騎士」の称号を授与されている。