↖︎ 赤いジャージが師匠「小島 豊先生」です。1985年に私が初めて渡独した際にドイツスパイスメーカーhelaのスタッフとしてフランクフルトIFFA見本市のブースに立っていらっしゃいました。ドイツ語のわからない私が「もしかして日本人の方ですか?」と声をお掛けしたのが出会いでした。私はその時まではあまりドイツに興味を持っていませんでしたが、先生と出会い、その会場周辺のimbiss(屋台)で食べたソーセージの美味しさが人生を変えてしまいました。そもそも、その時ドイツに行かせてもらったのは、福岡市のある食品卸会社に勤めていて、「食肉部門」初代主任になり、成績が少し良かったのでその褒美で。 その位の動機だったのです。 ドイツの駅やサッカー場、マルクト(マーケット)広場 、その他、人が集まる場所のいたるところにソーセージ屋台があり、それは全てにおいて一定のレベルを超える美味しさでした。 私はその夜、自分のこれから始まるハム&ソーセージを作る人生を一睡もせずにイメージしました。「自分はこれをやるために生まれてきたのか」と興奮が凄かったのです。 日本に帰って、派遣してくれた会社に辞表を出し(そりゃめっちゃ怒られましたよ)数年後に飛び出て、まず福岡市にあった(ゲーテハウス)という店に潜り込みました。ソーセージを作りたかったのです。そしたらそのお店の技術指導者が、数年前にドイツで出会い、もうその時は東京に帰っていた小島先生でした。私はそれから製造を学びながらお金を貯めては何回もドイツに行きました。先生が修行した「ハンスおじさんの店」を訪ねたり、各地方に伝わる地域のソーセージを食べまくりました。料理人としての修行が出来ていない私が勝負するには「食べた経験」が何より重要と思っていました。
その後、私はSailerさんと出会い、オーストリアから福岡市長住のサイラー本店や、バイエルン福岡を製作したHerbertさんにお願いして日本人としては第一号店となる三瀬IBUSUKIを作ってもらい、小島先生にも紹介し茨城県守谷市ジョイフルホンダ前のハンスホールベックが出来ました。(写真)
優しさの中にも日本の先駆者として、埃高い先生ご夫婦がこれからもお元気でますます背中が見えない位、突っ走って行って頂きたいと願っています。
私の弟子で福岡市早良区原等でドイツshopを展開している中原君の店「シュテファン」のお話は又今度。
⬇️は小島先生の奥様、小島龍子さんが毎月書かれている「ヘラ ニュース」です。面白いでので読んでみて下さい。